京都、山紫水明の地が抱く歴史。
平安貴族が好んだ「別業」文化。

かつて平安の貴族たちは洛中の屋敷の他に、都の近郊、特に自然の美しい風光明媚な地を選んで、「別業」と呼ばれる別荘を所有し、避暑や静養の場、遊猟の休憩所、文芸活動の場などに使っていたそうです。松ヶ崎を含む界隈、修学院、八瀬、高野などもそのような地の一つであったとされています。
源氏物語の『夕霧』にも
「ことに深き道ならねど、松ヶ崎の小山の色なども」
などと松ヶ崎の名が登場しています。また、紀貫之は和歌で
「たなひかぬ時こそなけれ秋もまた松ヶ崎より見ゆる白雪」
と詠んでいます。
山紫水明、花鳥風月の地、俗界の煩わしさから抜けた閑寂な風情。そこに広がる眺め、体感する光、風、音、匂いの全てを愛おしく思い、癒しや憩いや創造の時を豊かに紡いでいった人々。自然を慈しむ京文化の源流のひとつが此処にあるといえます。

都名所図会「松ヶ崎」(国際日本文化研究センター提供)
現地周辺から見る送り火・妙法の法(現地より約100m/2分)
松ヶ崎 大黒天(現地より約510m/7分)

伝統と継承。
人々の心に刻まれ、地域に育まれる歴史文化。

京都では、毎年8月16日に全国的に有名な『五山送り火』によって祖先の霊を送ります。松ヶ崎の東山(大黒天山)では送り火の「法」が焚かれ、西山(万灯籠山)では「妙」も焚かれます。
涌泉寺では、京都市登録無形民俗文化財である、「題目踊り」「さし踊り」が行われます。「さし踊り」は日本最古の盆踊りと言われています。
これら古くから地域の生活に根付いた様々な催しが、歴史と文化を直に感じさせます。

山霧の向こうに源を発する流れ。
水鏡の風景にいにしえ人の姿を想って。

高野川は古く平安時代には「埴川(はにかわ)」と呼ばれていました。埴川の「埴(はに)」とは、瓦・陶器の原料となる赤土、粘土、はにの産地であったことに由来します。左京区大原の里からの流れを源流に、比叡山の山間や八瀬、上高野からの流れが岩倉からの流れと合流して高野川となっています。高野川の名前の由来は高野村を通ることからきているそうです。

川の両岸に茂る木々の緑量が清流の透明感を際立たせ、自然豊かな景観を強く印象づけます。条件が整えば比叡山に霞がかかり、幻想的な雰囲気を醸し出します。水深が浅く、流れは清涼で、平安の頃には上高野、松ヶ崎でも帝による禊(みそぎ)が行われていたといいます。上流には特別天然記念物のオオサンショウウオが棲み、河川敷を仲良く歩く鹿の親子が話題になったことも・・・。今でも深い自然を感じることができます。松ヶ崎を潤した流れは、下鴨神社の先で賀茂川と合流し、鴨川となって市中に注ぎます。
高野川(現地より10m/1分)
高野川(現地より10m/1分)

洛中の人いきれから離れた奥座敷の趣。
住環境と景観が保たれた風致地区。※1

京都の洛北に位置する松ヶ崎は、近年の外国人観光客の増加を含めた賑わいや喧騒から離れた、住宅街を抱く暮らしのまち。通りから一歩奥に入ると静かな雰囲気と落ち着いた時の流れを感じることができます。
この地は景観や自然を守るために定められた地域「風致地区(※1)」に指定されており、法令により建築に関するさまざまな制限がかけられ、良好な住環境が保たれます。その他、風致地区第3・4種地域(高野川特別修景地域)・沿道型美観形成地区、山麓型建造物修景地区、遠景デザイン保全区域に指定されています。
これらの厳しい制限の中で建てられる住宅は、低層で周囲の環境に溶け込み、山や川などの自然を背景とした景観に映えるものとなっています。

※1 敷地内の全てが含まれるわけではありません。

「法」の山を背に、川を抱き、比叡山を望む。
古き良き京を感じられる得がたい地。

この地はかつて、高野川畔のホテル跡地でした。自然、文教、歴史を間近に置き、京の奥座敷と称したい風趣に溢れた得がたい地。
北山通、松ヶ崎橋、高野川。緑深き山を背に、河畔に建つ姿、自然を抱く佇まいは街に映え、矜持をもって主人を迎えます。そこに見えてくるのは、別業(別邸)文化の精神を現代に愉しむ人たちの姿。
本物件は、今や京都でも得がたくなった、四季、自然、川を身近に感じながら、美しい京文化を継承していく邸宅を目指します。

現地航空写真